2月になって。2007年02月10日 20時22分

暖冬で雪が少なく、そろそろ田んぼの土が見え始めるんじゃないか、なんて思っていたら、2月に入って早々大雪警報。
降って、吹雪いて、ひさびさに除雪機登場。去年は毎日毎日除雪作業でうんざりだったが、なんだかけっこう楽しい。
それでもやっぱり気温が高い。せっかく積もった雪もすぐ水っぽくなってぐちゃぐちゃ。今年はこれ以上寒くならないなこりゃ。

2月に入ると何かと忙しい。地元のいろいろな組織の総会やらなにやらいっぱいある。
先日は消防団の総会に向けての役員会。一番の議題は人事関係。
長くやっている人は辞めていく。新しく入ってくる人はいない。ここだけじゃなくて、全国的な問題みたいだけれど、とにかく人員不足。
そりゃあ、昔に比べて交通網が整備されて、田舎といえども消火栓が完備されて、消防署の設備もずいぶんと発達して、地元の消防団の役割ってのもそれほど重要ではなくなっているのかもしれないけど、組織があるうちはなんとかちゃんと動けるようにしとかないと。

今日は地元自治会関連4団体の総会。
来週は地元消防団の総会。
大雪警報が解除されたら雨降り。
また雪が融けるなあ。

お手伝い2007年02月13日 20時42分

急に近所の葬式が入って(まあ、葬式ってのは大概急なものですが)、その手伝いで丸二日。
亡くなられたのは私が20代のころ、秋の刈り入れ時期、農協の米倉庫でのバイトでずいぶんとお世話になった方です。
家の地区は開拓村ということもあるからか、葬式は地区の隣組中心で執り行う習わしです。
役所関係の手続き、葬儀屋やお寺の手配、会葬者へのお使い、式の段取り等々、近所の人で手分けして大忙しです。
大概自宅での葬儀となるのですが、今回初めて葬儀場での葬儀・告別式ってのを体験しました。
なんか、「テレビでよく見るやつだ」って妙に感心してしまいました。
でもなんか、司会の人のしゃべり方とか、テンポとか、それらしすぎて変な感じ。自宅で近所の人たちで執り行う葬式は、死が日常の延長線上にあるなって感じですが、葬儀場だとなんか日常から切り離された、非現実的なことって印象です。

3月のような陽気だったのが、この2日間は真冬に戻ったような冷たい風と雪。今日はまた太陽が照りだして、雪は溶け出しています。

食の話題から2007年02月17日 20時34分

 『怪食対談 あれも食ったこれも食った』
 小泉武雄/講談社文庫

食の冒険家、農学博士・小泉武雄の食にまつわる対談集。
対談の相手がおもしろい。南伸坊、渡辺貞夫、荒俣宏にパンツェッタ・ジローラモ、島村菜津に岸朝子、その他個性的な面々。食に始まって、農業、文化、歴史、民族、温泉、三角ベースまで、話題は多種多彩。
酒を飲みながらのくだけた対談で、内容は深い所まで行かないものの、興味深い話題ばかりで、読んでいて楽しい。とくに食と文化についての話題が興味深い。

ドランク・マラソン2007年02月19日 20時51分

昨日は地元消防団の総会でした。
新庄市の財政ひっ迫の折、消防団活動も縮小せざるを得ないみたいです。

それはそうと・・・午前中から総会が始まって、お昼から宴会に切り替わり、延々十二時間近い酒飲み持久戦。おかげで今日は一日しゃっくりが止まりません。
ひッくぅ。雑穀の脱穀作業、残りあと少しだ。

新聞読んで2007年02月20日 21時00分

今日はほんとに暖かかった。
ビニールハウスの扉を全開にして、それでも暑くてTシャツ一枚で仕事してもまだ汗が出た。
雪がどんどん融けてくる。畑の真ん中に立って耳をすますと、雪の融けていく音が辺りから聞こえてくる。いよいよ春か。

ところで、日曜日の新聞で、日本が輸入した米国産牛肉に輸入条件違反の肉が見つかったと載っていたけれど、今回は役所もメディアもサッパリさわがないね。原因は「不注意」っていうから、とても怖ろしいし、かなりなめられてるんじゃないかと思うんだけど。喉元過ぎて話題性が無くなったからか??
それにしても吉野家牛丼再開の時の報道のはしゃぎっぷりはどうだろうか。食品系のスポンサーからそういった意向があったのか、政府から圧力があったのか、それとも単にミーハーなのか。
善し悪しは別にして、最近視聴者のご機嫌取りみたいな報道ばかり目に付くのは私だけか?

今日の山形新聞で東北経済連合会40周年記念フォーラムってイベントの記事が載っていた。東北固有の文化をどう認め、将来に向けて発信していくか
、といった感じのフォーラム。東北の文化を語る中でパネリストの山折哲雄氏が〈「共死を忘れた共生」というのは浅はかなスローガンに過ぎない〉って言っていた。まさに実感。
有機農業なんかやっていると、毎日のように無数の命を奪う現実に直面する。
人間に限らず、生きものは他の命を奪うことでしか自分の命を長らえることは出来ない。それは自然の循環であり、避けては通れない。と言うより、避けてはいけないことだと思う。
現代は生きるということだけ尊んで、死ぬということを忌んでいる。見て見ぬふりをしている。死というものを厭わずにしっかり見据えなければ、しっかり生きることは出来ないと思うのだが。
「共生」は「共死」をも一緒に含んでいる。農の現場にいると、「共生」って言葉も都会とは違ったニュアンスになってくる。