地震から ― 2011年03月13日 19時22分
地震の日は、用事があり妻と娘を連れて、車で天童市まで行った帰り。村山市辺りのバイパスを走っているときに遭遇しました。
車が左右に大きく振られ、慌てて路肩に停めたら、脇の電柱が大きく揺れていて、初めて地震と気づきました。
村山地方は震度5強、揺れの大きさもさることながら、強い揺れがずっと長く続き、電柱が倒れてこないかハラハラしました。
揺れが収まりラジオをつけると、三陸沖で大きな地震のニュース。
車をゆっくり走らせて新庄まで。途中の信号は全部消えていました。
新庄市内の国道は渋滞が始まっていたので、信号のない脇道に迂回、家に帰ってみると、建物などの被害は特になく一安心。
新庄は県内の他の地方よりは比較的揺れは小さく震度5弱でした。
山形県はほぼ全域が停電。井戸水は停電の影響でポンプが作動せず使えません。それでも水道の方が生きていたので助かりました。ガスもプロパンなので使えます。
電話は固定も携帯もダメ。
災害伝言ダイヤルもつながらないし、携帯のネットもつながりません。
情報源は仕事場で使っている乾電池式のラジオのみ。
電気炊飯器は使えないので、圧力鍋でご飯を炊き、明るいうちに夕飯を済ませ、小さなろうそくの明かりと、反射式石油ストーブの薄暗い光のなかで、じっとラジオを聴きながら、余震の続く夜を明かしました。
12日朝。薄っぺらい朝刊の大きな写真によって被害の大きさを見ることができました。現実とは思えない光景にちょっと思考がついて行きません。
電気がいつ復旧するかわからないので、乾電池を買いに近くのホームセンターへ。
すでに行列。数人ずつ店内に入れての変則的な営業。店内は真っ暗、レジは電卓で。乾電池は単1がすでに完売。必要な単3と単4を買って帰宅。
妻の実家が井戸水で、停電のため汲み上げられないかもしれないということで、ポリタンクに水道水を詰め(温泉水用に買っておいたタンクがこんなところで役に立ちました)余計に炊いたご飯をおにぎりにして、実家へと。
途中にある踏切は遮断機が折れ曲がっていたり、警報器が鳴りっぱなしだったり。
実家に行ってみると、小さな発電機でポンプや暖房を使っていて一安心。さすが大工さん。
自宅へ戻り、ラジオで情報収集。ずっと被災情報を聞いていると、なんか気持ちがおかしくなってきます。
電話は相変わらず通じないので、消防団やいろいろな連絡事項は車か徒歩。
午後になって、何とか固定電話は通じるようになりました。離れて住む家族とも連絡がつき、無事を確認。すこしホッとしました。
夕方4時頃やっと電気が復旧しました。
テレビをつけると、信じられない光景がさらに広がっていました。
一度に何百人が津波にのまれて死亡といったニュースは自分の想像力の範囲を超えていて、気持ちがついていきません。
ともかく、この日はお風呂に入ることができて、安堵できました。
しかし、昨日のような寒く暗い夜をまだ何日も過ごす人々がいると思うと、胸が痛みます。
車が左右に大きく振られ、慌てて路肩に停めたら、脇の電柱が大きく揺れていて、初めて地震と気づきました。
村山地方は震度5強、揺れの大きさもさることながら、強い揺れがずっと長く続き、電柱が倒れてこないかハラハラしました。
揺れが収まりラジオをつけると、三陸沖で大きな地震のニュース。
車をゆっくり走らせて新庄まで。途中の信号は全部消えていました。
新庄市内の国道は渋滞が始まっていたので、信号のない脇道に迂回、家に帰ってみると、建物などの被害は特になく一安心。
新庄は県内の他の地方よりは比較的揺れは小さく震度5弱でした。
山形県はほぼ全域が停電。井戸水は停電の影響でポンプが作動せず使えません。それでも水道の方が生きていたので助かりました。ガスもプロパンなので使えます。
電話は固定も携帯もダメ。
災害伝言ダイヤルもつながらないし、携帯のネットもつながりません。
情報源は仕事場で使っている乾電池式のラジオのみ。
電気炊飯器は使えないので、圧力鍋でご飯を炊き、明るいうちに夕飯を済ませ、小さなろうそくの明かりと、反射式石油ストーブの薄暗い光のなかで、じっとラジオを聴きながら、余震の続く夜を明かしました。
12日朝。薄っぺらい朝刊の大きな写真によって被害の大きさを見ることができました。現実とは思えない光景にちょっと思考がついて行きません。
電気がいつ復旧するかわからないので、乾電池を買いに近くのホームセンターへ。
すでに行列。数人ずつ店内に入れての変則的な営業。店内は真っ暗、レジは電卓で。乾電池は単1がすでに完売。必要な単3と単4を買って帰宅。
妻の実家が井戸水で、停電のため汲み上げられないかもしれないということで、ポリタンクに水道水を詰め(温泉水用に買っておいたタンクがこんなところで役に立ちました)余計に炊いたご飯をおにぎりにして、実家へと。
途中にある踏切は遮断機が折れ曲がっていたり、警報器が鳴りっぱなしだったり。
実家に行ってみると、小さな発電機でポンプや暖房を使っていて一安心。さすが大工さん。
自宅へ戻り、ラジオで情報収集。ずっと被災情報を聞いていると、なんか気持ちがおかしくなってきます。
電話は相変わらず通じないので、消防団やいろいろな連絡事項は車か徒歩。
午後になって、何とか固定電話は通じるようになりました。離れて住む家族とも連絡がつき、無事を確認。すこしホッとしました。
夕方4時頃やっと電気が復旧しました。
テレビをつけると、信じられない光景がさらに広がっていました。
一度に何百人が津波にのまれて死亡といったニュースは自分の想像力の範囲を超えていて、気持ちがついていきません。
ともかく、この日はお風呂に入ることができて、安堵できました。
しかし、昨日のような寒く暗い夜をまだ何日も過ごす人々がいると思うと、胸が痛みます。
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