消防団、今年の山場。2010年02月22日 21時33分

昨日は地元・昭和消防団の総会でした。
年々新しく入る人が少なくなって、どの地区も消防団の活動が昔のようには行かなくなってきているんだけれども、組織運営がなかなかその現状に追いついていないのが現状。
少ない人数で地域の災害にどう向き合っていくのかってのを、現実的に考えて行かなきゃあならない時機に来ているんですね。
何が大切かを考えたら、少々のつじつま合わせには目をつぶってもらわないとね。

午前中から始まった総会はお昼には終わって宴会に突入。
例年通りのドランク・マラソンで夜が更けたのでした。

『湯の里ひじおり』2010年02月02日 19時29分

ひさびさに映画を観てきました。
新庄のおとなり大蔵村、その奥の奥、四方を深い山に囲まれた場所に肘折温泉はあります。
開湯1200年の歴史を持ち、古くから湯治場として栄えてきたこの集落も、少子化による小中学校統合のため、134年の歴史を持つ肘折小中学校が閉校することになりました。
肘折の学校のある最後の一年間を追ったドキュメンタリー映画が『湯の里ひじおり -学校のある最後の1年』です。

冒頭の、学校の体育館で行われた閉校式典の場面からもう目頭がウルウルしてしまいました。子供から大人、若者から年寄りまで、みんなで最後の日をむかえています。
映画は時間をさかのぼって、春から、夏、秋と季節を追って湯治場の日常を描き出していきます。
湯治客を迎える宿の人々と、毎年1週間、2週間と長期滞在していく湯治客との結びつき。
商店、飲食店を営む人たちの毎日。古くから連綿と続く行事、信仰、慣習。
そして、地元での最後の学校生活を送る子どもたち。
どこを見ても目頭が熱くなってきます。

湯治場という我々の日常とは異質な世界。
それに対する憧れと、そこにも押し寄せる冷たい現実。
彼らの心情が季節ごとの日常風景と共に描かれ、やがて最後にまた閉校式の場面にたどり着きます。
村社会の中心にあった学校が無くなるとは何を意味するのでしょうか。
村人は自らに問いかけながら未来を選択します。
将来の肘折をになう若者達の姿が、悲しい、寂しい出来事の中に、明るい希望を感じさせます。

我が母校、昭和小学校も数年後には学校統合で無くなる見込み。
閉校式とか・・・考えると目頭が・・・。

ムラの幸せ2008年07月28日 19時53分

 『農村の幸せ、都会の幸せ』
 徳野貞雄/生活人新書

徳野氏とは「全国合鴨水稲会」のイベントで一度お会いしている。
会の世話人をしているくせに「アイガモ農法は九州の畑作農家が始めた農法、米づくりで食っている東北の農家が同じ事をしてどうする」みたいなことを仰っていた。なんとも変わった人だと思った。個人的にもご意見をただいたのだが、それはまだ・・・。

米づくりを中心に成り立っていた日本の社会構造。それが昭和三十年代から急激に変化していった。
都市に消費され衰退していく農村。現代の食と農の状況を解体し、柔軟な思考で農村と都市の幸せのあり方をとらえ直している。

とにかく、農村の活性化の問題については机上の空論みたいなものが多い中で、農村に暮らすものとして、いちいちうなずける内容だった。
「除草農業」と「保水農業」、「旧大陸型農業」と「新大陸型農業」の例えはわかりやすい。田舎に移住を考えている人や、農業に詳しくない人にもおすすめ。

一人減り、一人増え2007年12月24日 19時05分

クリスマスイブですね。
今日は敬愛するミュージシャン、伊藤銀次さんの誕生日。メリー・クリスマス&ハッピー・バースデイです。
Tさん、クリスマスカードありがとう。センキュです。

話はガラッと変わって。
今日ご近所のお葬式でした。
今回も自宅ではなくて、市内の葬儀場で。
やっぱり自宅での雑然とした手作りの葬式に慣れていると、整然と演出されたお葬式ってのはヘンな感じだな。なんか日常生活から切り離された出来事みたいな。
ともあれ、故人の開拓地に生まれ、同じ開拓地に嫁ぎ、子供を育てながら、土と汗にまみれて、見渡すかぎりの農地を手作業で開墾していった生涯が、苦労を共にしたご近所・ご友人の弔辞からありありと感じられ、ジンときたよ。農業をレジャー的に考えてる人たちに聞かせてやりたいね。

話は変わって2日前。ご近所の結婚式。
横浜からのお婿入り。農業やるみたいです。この農業情勢厳しい折、貴重な人材だあ。
あちらの親族は新庄の雪にビックリしたみたい。草一つ見えない一面の銀世界と、土にまみれた農業が一致しなかったのかな。

そんなわけで、我が昭和地区は一人減り、一人増えた年末でした。

ボーメでる2007年12月16日 18時06分

雪がずんずん降り出しました。足踏みしていた季節もやっと本格的な冬になりそうです。
ペット用の雑穀の調整もメドが付いてきて、来週辺りから発送できるかな?ってところです。
もうちょっとねえ、来年は仕事のペースを落としていこうかなって思っています。
あんまり仕事のことばっかり考えてないで、もうちょっとほかのことも考えようかと。
もうちょっとダラダラいってみようかと。
思ってはいるんですけどねえ。来年は有機栽培の面積を増やす予定なんで、はたしてのんびりやれるだろうか・・・。

昨日は地区消防団の幹部会議。
人が減っていく現状にどう対処してどう維持していくか。酒も入って大激論。
家の村は開拓村で、ほぼ100%農家。それでも最近は跡を継ぐ若者もみんな就職。しかも地元にあまり仕事がないので、土地を離れていく人が多いようです。
地方はどうなっていくのかな。
食っていける仕事さえあれば、こんな良い所はないんですけどね。

近くの酒蔵で、蔵人として働くS畑くん。なぜか飲むのはビールばかり。
「日本酒は職場だけで十分」といった所でしょうか。
彼によれば今年の山形の酒は「ボーメでる」んだそうです。
専門的な言葉で詳しくはわからないんですが(酔っぱらって聞いた話だし)、つまりは今年の米が融けやすくて造りをコントロールしにくい傾向があるんだそうです。
お酒造りも自然相手の仕事なんだな。だから旨いんだな。

冬の防災に2007年11月26日 20時12分

もう冬が始まってますね。今日の最高気温は6℃。これからどんどん寒くなるんだなあ。

昨日は冬に備えて、集落の消防設備の点検をしました。なにせ水利の乏しい土地柄。雪の多いこの地区では火事が起きたら消火にもだいぶ支障が出ます。
でも一番の問題は消防団員のほとんどが勤めに出て日中家にいないってこと。
町場では当たり前のことだったかもしれないけれど、農村部もそうなっちゃったんだよねえ。

どうもテレビなんか見てると、日本の農家が潰れちゃう!ってなかんじで報道されてるけど、決して農家は潰れません。だってみんな勤めに出て生活費を稼いでるんだもん。ただ職業が農業じゃなくなるだけ。
国の農業が崩壊して困るのは農家じゃなくてJAや肥料農薬・農業機械業者。そして何より一番は消費者。
農業やめても農家は自分の食いぶちくらいはいくらでも作れる。農業が崩壊して一番困らないのが農家ですよ。

あ、家みたいな専業農家はキツいなあ。

都会に媚びない農業のあり方2007年08月16日 09時13分

 『自主独立農民という仕事』
 森まゆみ/バジリコ

「自主独立農民」という言葉に惹かれて読んでみた。
日本で初めてパスチャライズ牛乳、つまりは低温殺菌の牛乳を販売した佐藤忠吉さんと木次乳業のことについての本。
大消費地の意向や農政のあり方に左右されない、自主独立農業の方法を解説した本・・・ではなく、佐藤忠吉さんの自主独立農業という考え方とか生き方をまとめた本か。
地元である島根県出雲の歴史から、輩出した偉人達、たどった歴史など佐藤さんのバックボーンみたいな部分が半分以上。
パスチャライズ牛乳に始まり、有機農業、加工食品、地域内循環と発展していく木次乳業周辺の取り組みはアウトラインをなぞった程度。
自立した農家を目指す私としては大変興味深い反面、かなり物足りない。
「人に売るために作物を育てようと思うと、相手の欲望にあわすようになり、ごまかしが出てきます」
「人の為といってやっていることにロクなことはない」
「地域は活性化する必要はない、むしろ沈静化するべき」
など、佐藤さんの発する言葉がいちいち楽しく興味深く、とにかくもっと深く掘り下げた本が読んでみたい。

農家はどうなる?農協は?2007年05月22日 20時13分

 『農の戦犯 誰が農業をダメにしたのか』
 シーザー前園/文芸社

なぜ日本の農業は衰退したのか。東北・北信越の農村での取材の中から見えてきた日本の農業の問題点。
帯の文句「後継者?いるわけないよ 誰も田んぼをやめないんだから」。
なるほど。70歳くらいで有機農業に取り組んでいる方々を見て、オレもあんなふうになりたいな。とか思ったけれど、考えてみれば彼らの息子たちは会社勤めで、すでに責任のある役職に就いている。もし彼らが農業を継ぐとしたら、退職後の趣味の農業みたいな感じでしかないだろうな。結局職業としての農業は継承されない。
高齢化社会とはいえ、年寄りが頑張りすぎるのも問題ありだな。

指摘されている問題点は先日読んだ『日本の食と農 危機の本質』の中でも指摘されている。
学者が書いた『日本の食と農』にくらべて、こちらは現地での取材による生々しい現場の姿がリアルに語られるので、わかりやすい。
それにしても・・・筆者は幼少期に農村で虐待でも受けたのかと勘ぐりたくなるほど徹底的に否定的な語り口にはちょっと引いた。

都市住民向けの「農村交流会」では絶対聞けない農村の実態。
農村に移住を考えている人にもお勧め。
ただし、読んでも引かないでね。

代掻き&お金の循環2007年05月11日 21時08分

田起こしを終え、代かき作業中です。
今年は雪が少なかったので地下水の量は大丈夫かなと心配だったのですが、今のところ切れずに出続けています。おかげで仕事が次々出来て休んでいる暇がありません。水が多いのもちょっと困ります。贅沢な悩みですが。

さて、山菜。
今度はゼンマイをいただきました。山ほど。売ったらいったい幾らになるんだってほど。茹でて、日干しにして、保管しておきます。
あと、家の裏に出ていたウド。味噌汁にしていただきました。強い香りがたまりません。

さっき山形ローカルの番組で、林業の話題をやっていました。
「やまがた緑環境税」という、森林保護に特化した県の税金の話題でしたが、林業の現場サイドから見ると問題があるようです。
この税金は管理放棄され荒れた森林の保全に対して使われ、収益も上がらず身銭を切るようにして管理している林業家には支払われないので、真面目に取り組んでいる人のやる気を削いでしまうのではないかと現場の人が疑問を投げかけていました。
さらに先に導入している岩手県では管理委託に同意しない地主が多く、税金の約三分の一が余ってしまったそうで、これは契約後20年間伐採や転用が出来ず、資産としての価値が薄れてしまうといったことが原因のようです。

結局のところ林業が職業として成り立たなくなっていることが問題の根っこのほうにあるのではないでしょうか。
地方の木材は都市に販売され、次の森を育てる資金になり、循環が成り立っていました。
今は消費者が国産木材より安い輸入木材のほうを選び、循環がとぎれてしまいました。それが森林の荒廃に繋がっている。
その森林保護のため、税金を投入するといいます。しかもその消費地ではなく、切り捨てられたほうが自腹で負担しなければならない。なんか変じゃないか?
農業もこんなふうになりつつあるんだなあ。

春の味が次から次2007年05月04日 20時18分

5月になりました。
5月、雪国新庄も緑が伸びはじめる季節です。
家の裏に植えているコゴミが食べ時です。太い株の中から次々と伸びてきます。シャキッとした歯ごたえ、ほのかな春の青臭さ、これが食卓に上ると5月です。
あと、親父が山から採ってきたアケビの新芽。苦いんです。この苦みが春です。
今朝は親戚が持ってきてくれたタラの芽を天ぷらでいただきました。野生のやつ。スーパーで売っているような促成栽培ものの3倍はあるでかいやつ。食いでがありました。
夕方仕事を終えて帰ってくると、近所の知り合いがコシアブラを置いってくれてました。ウレシー。さっそく天ぷらに。
雪国の5月は楽しみが尽きません。

昨日の新聞で農村の住民のほとんどは将来に不安を抱えている。なんてアンケートの記事があったけれども、どうも大学の先生とかって、農村に住んでいる人は毎日絶望の中に生きていて、生活を楽しむ術を知らないと思いこんでるような節がある。
とんでもないです。
田舎の人は田舎の良さを知らない。「よそ者」が農村の宝を発見してくれる。みたいなことが言われるけれども、あえて言わないだけで、十分知っているし、存分に楽しんでいます。社会的・経済的な不安とそれとはまったく別。
農村に都会の価値観を持ち込むことが田舎を活性化させることだみたいな話が多いけれども、出来上がった『不便な都会』にはたして意味があるか?